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Author:からこと
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会社のメンバーで南三陸町にボランティア

こんにちは。山下亮です。
3月9日~11日に、会社のメンバーで南三陸町にボランティアに行ってきました。
ずいぶん時間が経ったのですが、書かせてもらいます。

ことの始めは、編集担当の小山がボランティアに行きたい、と話をしたことからでした。
まずは日程をと確認したところ、週末で行ける日は震災からちょうど1年のこの日でした。車1台で4人ということで、森本、宇野が行くことになりました。

9日(金)夜に仕事を終えるといったん家の帰り、準備をして再び22時に会社に集合。そこからは高速道路に乗って北上です。那須のあたりで雪がぱらつきだし、福島県に入ったころには道路も白くなり、チェーン規制に。パーキングでチェーンをつけてさらに行きます。
スピードは落ちましたが、朝4時半ごろ若柳金成(わかやなぎかんなり)インターチェンジで高速を出て、そこからは一般道で太平洋のほうへ。登米市(とめし)を通り、ちょっとした山を越えて、6時ごろに南三陸町に入りました。

川沿いの道を海に向かって進むにしたがって、積み上げた車などが見えてきます。昨年の秋に初めて来たときと同じ風景です。

しばらく行くと、前回のボランティアのときに、側溝の掃除をした場所に復興商店街ができていました。
そのときから、ここには商店街ができると聞いていたので、どんなふうになっているのかなと楽しみにしてきたのですが、30店舗以上の店が軒を並べたりっぱな商店街になっていました。1日活動しただけなのですが、あの何もない更地がこんな立派な商店街に、と嬉しい気持ちがしました。

「南三陸さんさん商店街」HP

この商店街をつくるにあたっては、商店街を計画してからできるまでのことや、「助成金が出るはずが仮設だから出なかった」といったことをテレビのドキュメントで見ましたが、それぞれのお店の大変なご苦労があったことと思います。自分の店や家が無くなったところに、新たに店を作り、什器を入れて、商品を仕入れるという大きなリスクを背負って勝負をしていることに感動を覚えます。

まだ営業時間前なので、ボランティア後に買い物に来ることにしました。

そのあと、町の中心部に向かいました。がれきの山も半年前と変わりませんでした。ただ、翌日が震災から1年ということで、被災した建物の前の献花台が大きくなっていたり、テレビ局がクレーン車を持ち込んで中継の準備をしていました。早朝ですが、建物の前で手を合わせている人もいらっしゃいました。

がれきの山
<取り壊しを待つ建物とがれきの山>

仮設コンビニに寄って、朝食とボランティア中の昼食を買って、高台にあるボランティアセンターに向かいました。
仮設コンビニといっても、店は大きめで、手袋やマスク、バケツなどの作業に使うものや、野菜や花など、被災地のニーズに合わせて品ぞろえが豊富です。

ボランティアセンターに到着後、少し休憩や仮眠をして、8時半から受付です。100台近くの車と、九州の大学生のグループなどの団体のバスも5台ぐらい到着して、400人ぐらいいたと思います。

受付後、全体を2つにグループに分けて、それぞれが乗ってきた車に分乗して、活動場所に向かいます。

海から1キロ以上離れたところで、山のふもとで高台になっているところにある介護老人ホームに行きました。介護老人ホームは結構高い場所にあり、海からも離れているので、とても津波が来るとは信じられないのですが、建物を残して、中は津波が通り抜けています。あとで調べると、多くの入居者と介護する方が亡くなられたとのことで、入居者を何とか山の上に連れて行こうとして波にのまれた方もいらっしゃったとのことです。

高台
<高台なので海までよく見える>

駐車場に車を留めて、その裏手の活動場所に向かいます。重機が入ってほぼ更地になっているところですが、重機では取り除けない小さながれきや流された家にあったものがたくさん入っているので、それらを取りだして、廃棄できるように分別します。また、お金や写真などの貴重品があったらとっておきます。
200人~300人ぐらいの人がシャベルなどを持って、思い思いに拡がって地面を掘り返していきます。

家や庭に使われていたと思われるタイルやレンガの破片、居間にあったのかなと思われる壺などの破片、中には割れずにそのまま埋まっているものもあります。また、子供がいたことを感じさせるおもちゃや、ボールを中に入れて袋に入ったグローブなど、生活を感じさせるものがどんどん出てきます。
地震の直前まで、ふつうの生活があったのだなと、あらためて思います。

12時まで活動して、そこから1時間の昼休憩です。朝、コンビニで買ったお弁当を食べました。

昼食中の森本小山
<昼食中の森本(左)と小山(右)>

時間があるので、周りを見てみると、津波のあとに新しく建て直して営業を再開した喫茶店がありました。多くの人がいて、我々4人でコーヒーを飲みにいきました。カレーがおいしいと聞いたので、昼食が足りなかった私はこれ幸いとカレーも注文しました。コーヒーともどもとてもおいしかったです。

13時から15時まで、引き続き活動をしました。結構広いエリアでしたが、全体が見た目もキレイになり、瓦礫の小山がたくさんできました。

その後、ボランティアセンターに戻って、活動報告をしました。ボランティアセンターには、お土産用のチョコレートや南三陸町Tシャツが売られており、会社や自分のおみやげに購入にしました。

次は、朝通った仮設商店街「南三陸町さんさん商店街」に向かいます。
30店舗ぐらいあるので、見て回るだけでも、魚やかまぼこ、海藻などの海のものや、スイーツ、お酒、地元の特産品などを中心においしそうなものがたくさんあります。あと、肉や野菜、家電など地元の方がよく利用されそうなお店もあります。さらに、瓦礫を利用したりした手造りの記念品など、特徴のある商品がたくさん。見て回るだけもとても楽しく、みんなでいろいろ買いました。

夕方になったので宿に向かうことにします。今日の宿泊は、民宿「下道荘」です。
宿泊場所をHPで探していて見つけました。海のそばの「袖浜」という地区にあります。
この地区には、おいしい海の幸を食べさせたり、海水浴客の民宿がいくつもあったそうなのですが、ほとんどが津波で流されてしまったそうです。
「下道荘」も流されたのですが、高台の竹やぶを切り開いて再建し、半月ぐらい前に2月に新しくオープンをしたばかりでした。

下道荘
<下道荘>

宿からの風景
<宿から見える美しい海>

新築ということもあり、すべてがキレイで、木の香りがします。
疲れた体をまずはお風呂でいやし、そして食事です。
食事が豪華なのには驚きました。一品一品がほんとにおいしいのです。
すべてにおいて、私のイメージする民宿よりかなりよかったです。

ただ、やんちゃな3人の女の子たちが走り回っていたのは民宿らしいところです。親に「お客様のいるところで遊んじゃだめ」とか言われながらも、子供たちがいると、民宿全体に明るい空気が流れます。いろんなお客さんと話をしたり、上手に受け答えができるのは、さすが民宿の子だなと思いました。苦労が絶えない被災地で、多くの大人たちを元気づけているのだろうなと思いました。

疲れていたので、早々に寝てしまいました。
翌朝の朝食も、海藻などの海の幸、そしてご飯もおいしく絶品でした。
ほんとうに良い宿でした。また来たいですが、予約が取れるかが心配です。

●「下道荘」HP

●「下道荘」再建への道のり

翌日の日曜日は、震災から1周年の式典が行われるため、ボランティアセンターは休みです。
そこで、われわれは被災地を見たいと思い、松島まで海沿いの道を行くことにしました。
道路は、震災後に自衛隊らが修復などをして通っていましたが、海や川に近いところは北上町、雄勝町、女川町などの大きな町も、小さな集落もすべてが流されていました。
小さな町はコンビニも再開しないので、大きな瓦礫だけがまとめられている以外は、震災のときのままのようにも見えました。

また、大きな被災地である石巻市中心部では、日本製紙石巻工場の横を通りました。
この工場は、雑誌に使うような紙をたくさん作る大きな工場で、震災までは『からだにいいこと』で使っている用紙も作っていました。少しずつ動き出しているみたいですが、あまりにも大きな打撃で、元のようになるのはまだまだ厳しそうです。
創刊から震災まで、『からだにいいこと』で情報を伝え続けていた紙はここで作っていたのかと、感慨深いというか、感謝の気持ちがわきました。

日本製紙石巻工場
<日本製紙石巻工場>

しばらく行くと、日本三景の松島に着き、名物の牡蠣(かき)を食べたり、ちょっとした観光や買い物をしました。

松島で食べた牡蠣
<松島で食べた牡蠣>

そこからは帰路につきましたが、車のテレビでは、震災の慰霊式典をやっています。14時46分にはパーキングに止まってみんなで黙とうをしました。

震災から1年、大きな瓦礫の山はまだまだあり、復興の前の片づけもなかなか進んでいないことが分かりました。しかし、力強く再出発をして進みだした人たちがいます。仮設でも何でも、そこから人の交流が始まり、モノもお金も動きだします。
先が見えない中、リスクも背負いながら、覚悟を決めて進む方々に感銘を受けるとともに、自分もやらねばと思ったりしました。
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