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ボランティアのバスツアーで陸前高田市へ

こんにちは。山下です。
先週末に、ボランティアのバスツアーで陸前高田市に行ってきました。

福島、宮城に行ったので、次は岩手に行きたいと思い、ボランティアツアーを調べたところ、ほとんどの行き先が陸前高田市でした。
新幹線のツアーは無く、バスばかりだったので、今回はバスにしました。
金曜日の夜行で行き、土曜日の午前と午後、そして日曜日の午前に活動をして、バスで帰ってくるツアーです。

バスに座りっぱなしの往復はきつそうだなと思いましたが、日程や宿泊場所がいいと思ったJTBの22,800円のバスツアーで行くことにしました。

1、夜行バスで陸前高田へ

12月9日(金)夜、仕事が終了したら急いで自宅に帰り、寒さに耐えられる支度を整えて出発。夜22時30分に東京駅八重洲口近くの駐車場に集合しました。

1バス乗り場
<バス乗り場>

ぞろぞろと参加者が集まって来たころ、数台のバスがやってきました。
同じバスの参加者は35名、男性が6割ぐらいで、年代は下は18歳(父親と一緒)から50代ぐらいまで幅広いです。あとは中島さんという添乗員の女性です。

バスの座席は決まっています。隣に座った30歳ぐらいの気さくな男の人と挨拶、JTBの添乗員からの説明は翌朝ということなので、まずは寝ます。東北自動車道のパーキングで2回のトイレ休憩があり、朝の6時頃に一関インターで高速を降り、しばらく行った「道の駅かわさき」というパーキングで30分ほど休憩。着替えたり、顔を洗ったり、朝食を食べたりします。

そして、さらに1時間ほど海岸に向けて走り、陸前高田のボランティアの拠点である、陸前高田ボランティアセンターに到着しました。
ボランティアセンターは津波の被害を受けたところから山間部に入ったところにあり、山の間のひらけたところにプレハブの建物でした。

2ボラセン全体
<ボランティアセンター全景(2日目朝に撮影)>

5ボラセンの看板と私
<看板と私(2日目朝に撮影)>

2、1日目の活動

ボランティアセンターには、バスが6台ぐらいと、自家用車が数10台来ています。この日に集まったのは400人強ということでした。
8時30分ごろから、朝のミーティングです。
ボランティアセンターの所長の挨拶、看護担当、作業担当の方から注意事項の説明がありました。そのときにいくつかのグループの方が適当に指名されて挨拶をしたのですが、岡山から16時間かけて車で来たという人たちもいました。

スタッフの方々はオープンで親しみやすく、アットホームな雰囲気です。

3ボラセン朝のミーティング
<朝のミーティング>

4-1道具や手を洗うところ
<活動後に道具や手を洗うところ、お湯が出て快適>

4-2自由にお取りください
<「自由にお取りください」にはカイロ、マスク、ビスケットが>

活動する場所が決まり、9時前には再びバスに乗って出発です。
行き先は40分ぐらい行った「広田地区」というところです。陸前高田の中心部は湾の奥にあるのですが、広田地区はその湾の左手に伸びる半島の先に近いところにある地域です。
陸前高田市の中心部は通らずに、山の中を通って半島に行きます。

しばらく山の中を走り、半島に入るところで「小友地区」を通ります。
右も左も見渡す限り泥の平野です。ところどころに水がたまり、舟が転がっていたり、がれきの大きな山もあります。地図で見てみると、そこは半島の根元の平野部分で、元々は田んぼが広がっているところでした。半島の根元といっても狭いわけではなく3kmぐらいの幅があります。その半島の根元の両側から津波が押し寄せて、それが陸の上でぶつかり暴れたとのことです。

9半島の根元
<もともと田んぼだったところが一面の泥と池に>

さらに進み、半島の先のほうにある「広田地区」に入りました。
中学校は少し高台にあるにも関わらず、窓が無かったり、自転車置き場などの構造物がひしゃげています。

そして見えてきたのは、高さが5,6メートルはある防波堤です。あちこちが壊れ、真ん中部分は100mぐらいに渡って、すでに崩壊して無くなっていました。(石を積んだ仮の防波堤があり、それで元々防波堤があったところだと分かるのです)その崩壊したところから、陸地のほうは入江のように水があり、さらにそこから数100m奥にある山の斜面まで、何もかもが津波に流されていました。そこを横切る2車線の道路も寸断されて無くなっています。

6破壊された堤防2
<破壊された防波堤1>

7破壊された堤防
<破壊された防波堤2(防波堤の上から)>

8堤防の内側
<防波堤の内側>

1日目の活動は、その防波堤の前にある畑の掃除です。重機で大きながれきは無く更地のようになっている上に海の砂のようなものが被さっています。その砂地の中に入っている小さなガレキや石を取り除くのです。
20m四方ぐらいのところに全員が入って、端からシャベルで砂をすくっては中にある小さなガレキやガラス、石などを取り除いていきます。

午前と午後に2時間ずつぐらいの作業をやります。
最初は、お互いの面識もなく、うまく連携がとれないのですが、コミュニケーションをとりながら進めるうちに、少しずつ段取りがよくなったり、メンバーそれぞれの持ち味を活かした作業ができてきます。
1日かけて全体の半分弱をきれいにしました。

現場が防波堤の端から近かったので、昼休みに防波堤にあがって昼ごはんを食べたのですが、防波堤は厚みも3mぐらいある頑丈なものでした。それが水の力でこんなになるというのが、想像を絶します。

そこから海を眺めると、遠くに緑の山や島々が、そして海の上を飛んだり波間で休んでいるカモメたちがいます。豊かな自然が美しい、ゆったりとしたいいところです。

3、陸前高田市の中心部を通る

14時半ぐらいに作業を終了して、ボランティアセンターに戻ります。
行きとは違う道で、陸前高田市の中心部を通りました。

市街地だったところに入ったときに、まず、その被害の面積の広さに驚きました。
事前に地図を見て被害の大きさを見たり、海沿いの7万本といわれた松林が壊滅して、1本だけ奇跡的に残って「希望の1本松」と言われていたのは知っていたのですが、とにかくその被害の範囲の広さにはショックを受けました。
さらにショックだったのは、海から100m以上離れているところであちこちが池のようになって水が溜まっているのです。この岩手と宮城の県境に近いあたりは、地盤沈下が特に大きかったようです。
ここを復興するには、地盤作りからかと思いました。

10中心部2
11中心部3
<地盤沈下で池のようになっている>

さらに、高田高校、体育館、市役所、ショッピングセンターのマイヤなどの大きな建物が、津波の大きな傷を残していました。これらの建物は海から1km近いところにあります。
さらに、ここから川を中心に上流数kmまで、平野部は全て流されています。

12高田高校
<高田高校(右の体育館側が海側)>

13体育館
<市立体育館>

13中心部
<遠くからも海が見えます>

4、ボランティアセンターに戻る

バスはボランティアセンターに戻りました。シャベルなどの道具を洗います。お湯が出る蛇口とシャワーがたくさんあり、とても使いやすいです。
そのあと、手洗いとうがいをします。センターの方がうがい薬を配ってくれました。

さらに、建物に入ると、ボランティアセンターのスタッフの方(この方々も地元や遠方から来たボランティアの方)が希望する温かい飲み物を作ってくれて、お菓子も勧めてくださいます。
夕方近くになると大分寒くなってきている中で、とてもありがたいです。
ココアのあたたかさが沁みました。

壁や天井には、これまでに来た多くのボランティアたちから寄せられたメッセージや、千羽鶴などがたくさん飾られています。

4ボラセン内部
<ボランティアセンター内部(写真を撮っていい場所)>

さらに、「希望の一本松のステッカー(200円と300円)」や、がれきを使ったキーホルダー「ガレキーホルダー(600円)」の販売もしていました。(これらは寄付やキーホルダーを作る人の仕事にもつながっています)

ステッカー
<ステッカーとキーホルダー>

5、1日目の夜

ボランティアセンターを出て、1時間30分ほどの道のりを一関市に戻り、宿泊場所である「ホテルルートイン一関インター」に入りました。
しばらくゆっくりして、オプションの夕食希望者16人は、バスにのって「世嬉の一(せきのいち)」という日本酒の蔵元の施設に行きました。江戸時代から続く酒蔵で、明治や大正時代にできた蔵を、レストランやショップにしています。

食事はおいしく、さすがにお酒もおいしく、蔵元の社長さんもおもしろい話で盛り上げてくださり、参加者と添乗員を交えていろんな話をしました。さらに、ショップで試飲をしたり、買い物をしたりして、楽しむことができました。
お酒を飲む方には、とてもお薦めの場所です。

15嬉世の一
「世嬉の一」HP

ホテルに戻ると、月夜がきれいです。
21時45分から月食が始まるということだったので、その時間にホテルの外に出て、わずかに月が欠け始める姿を見たいのですが、あまりの寒さにすぐに部屋に戻りました。
酔いと疲れで、すぐに寝てしまいました。

16月食の始まり
<月食の始まり(左下がわずかに欠けているような)>

6、2日目

朝5時すぎに起床、6時からホテルの朝食を食べて、6時半に出発です。
外には雪が積り、曇り空です。

17朝には雪が
<朝に積っていた雪>

今日のボランティアは無くなるかもと思いつつ、バスに乗って、再び陸前高田市へ。
バスに乗って寝ていたのですが、1時間ほどして起きたら晴れ渡っていました。
内陸部と沿岸部でこんなに違うのかと、東北地方について学びました。

参加人数は、土曜日の1/3ぐらいでしょうか。その中には高田高校の生徒たちもバスで来ていました。後で調べると、学校が壊れて、大船渡市の廃校に仮に入ってようなのですが、週末にはボランティアに来ているのです。明るく力強くたくましいです。

ミーティングと体操をして、2日目の活動場所の「米崎町」に向かいました。
ここは1日目より近い場所で、海沿いに小さな平地があり、そこから山に向かって田がひろがっているところです。ここも防波堤は壊れ、家や鉄道なども流されていました。
午前中の2時間ぐらいですが、みんなで田んぼの中で土を掘り起こしては、がれきや石を取り除きました。田んぼの持ち主で、ボランティアを依頼したおばあさんも来てくださって、みんなと話をしたりしながら、一緒に作業をしました。
家は流されて、身一つになってしまったそうです。慰めの言葉はなく「お元気でね」というのが精一杯です。作業後は、何度も「ありがとう。ありがとう。」と言って、我々を見送ってくださいました。

14線路跡
<集落を津波が通った「ドラゴンレール大船渡線」の鉄道跡>

その後、ボランティアセンターに戻り、また温かいココアをいただき、さらに厚かましくもコーヒーまでいただいて、ボランティアセンターを後にしました。スタッフの方々が手を振って見送ってくださいました。

陸前高田市の幹線道路の沿道には、プレハブでできた仮設の店舗が、ところどころにできており、20店舗ぐらい見たように思います。

18仮設
<仮設店舗>

また、竹駒地区には、支援の人へのお礼と復興への決意を書いた看板がありました。
絶望と悲しみから、反転して少しずつでも前に進んでいく力を感じました。

20支援の人に向けた看板
<復興へのメッセージ(とっさに撮ったので左右が切れましたが)>

その後、一関市内で入浴と食事をして、15時ごろに一関を出発、帰りは昼間ということもあり、あまり寝られず、音楽などを聞きながら車窓を眺めていました。21時すぎに東京駅に到着。丸ノ内の冬のイルミネーションが輝いていました。

7、最後に

市の中心部から離れた場所にも行って分かったのですが、テレビで見たり、名前を聞く市街地や観光地だけでなく、海岸沿いのあらゆるところが、防波堤、橋、道、線路、建物が壊れ、田んぼや畑や森林などが海水を被る被害を受けているということでした。
あたりまえのようなことですが、メディアを通して知るところだけが被災地のように思っていた、間違いに気づきました。


そして、何から手をつけていいんだと立ちすくむような大きな被災状況です。
それでも多くの地域で、家、建造物、家財道具、車、木などのがれきはすでに大きくまとめられています。
町中を埋め尽くしていたがれきをここまでまとめた、全国から来た自衛隊、消防、警察、自治体、そして重機を使う会社やボランティアの方など、すごいことだと思いました。

「がれきの山の片付け」「普通の生活」「仕事場づくり」どれも難しい問題が山積だと思います。
被災した方々の力だけではまだまだ厳しい状況です。
これからも、日本全国で、多くの個人や組織ができることをやり続ければ、必ずや復興が進むはずです。

今回は一段と長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
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