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Author:からこと
『からだにいいこと』は全国の書店で、毎月16日(近畿・東海は15日)に好評発売中!ダイエット・健康の情報をはじめ、編集部が最近気になっていることを気ままにレポートします!
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第46回青梅マラソンを走りました

こんにちは。山下亮です。

2月19日(日)に青梅マラソンを走ってきました。
青梅マラソンは市民マラソンの先がけともいうべき大会で、30キロと10キロの2つの距離があります。

私は、30キロの部に出場しました。私にとって初めてのレースです。
これから走ってみようと思っている人の参考にもなればと思います。

■走ろうと思ったきっかけ

1年ぐらい前のことです。
『からだにいいこと』で、スポーツ用の肌着を読者モニターに体験してもらう企画がありました。
そのときに、読者モニターをやってくれた藤野さんが、青梅マラソンに出場したことを教えてくださいました。

私は走るだけは退屈だし、きついので続かない、と挑戦したことが無かったのですが、藤野さんから、「私は40歳を過ぎてから始めたが、運動神経がなくてもコツコツやれば誰でも結果がついてくる(これは私が証明します)体が丈夫になる。やせる。」といったメールをいただきました。
最近目立ってきた私のお腹をへこませるには、走るしかないのかなと少しずつその気になってきました。

私が興味を示すと、高橋尚子さんを育てた小出監督の本『マラソンは毎日走っても完走できない』を編集部の私宛に送ってくださいました。
本を読むとなんか自分もできそうな気がしてきます。

そして、距離もマラソンより少し短いし、雰囲気が良さそうということで、青梅マラソンにエントリーすることに決めました。

■青梅マラソンにエントリー

練習は月に1回ぐらいジョギングをする程度で半年が経ち、9月30日のエントリーの日になりました。
ランネットというマラソン大会などにエントリーするホームページで、無事にエントリーができました。
その後は、数日で定員になり締切になっていました。

エントリーをすると、練習しないとという危機感が盛り上がってきます。
まずは30キロを、レースの制限時間の4時間以内に走ることを目標に練習です。

■練習

最初は走り出しても1キロか2キロぐらいで歩いてしまいます。そしてまた走ったり、歩いたりの繰り返しです。
どうも安定して長い距離が走れる感じがしないのです。
走る本や雑誌をいろいろと見たところ、どうやら体が長距離に慣れるまでは「ゆっくり走り続ける」ことが大切なようで、これまでは無理して早いペースになっていたようでした。

それからは意識して、よりゆっくり走るようにしてから、少しずつ長い距離が走れるようになってきました。
走っている間はちょっと退屈だったりもするので、小さなラジオを腕につけてイヤホンで聞きながら走ります。

毎週末に、土曜か日曜に1時間ぐらいを目安に走ります。最初は30分走って30分歩いたりしていたのが、少しずつ連続して走ることができるようになり、11月ごろには続けて10キロを走れるようになり、12月も週末ごとに10〜15キロを走りました。
継続して走っていると、体が走ることに慣れるせいか、苦しさが減って、気持ちよく走れるようになってきます。

食べる量を減らさなかったせいか、体重は減らないのですが、明らかに動きは軽くなりました。
サッカーをしても、あきらかに走れるようになっており、スポーツの基本は走りだなと改めて実感します。

■青梅マラソン当日の朝

2月19日(日)寒さが心配だったのですが、晴天で風も無い絶好の天気です。
朝8時前に家を出て、いくつか乗り換えて、青梅線の河辺駅(かべえき)に向かいます。

駅に止まるごとに、ジャージを着たり、ランニングシューズを履いた参加選手たちが乗ってきます。
青梅線の車窓から見える田園風景と、雪をかぶった秩父の山々が美しく、とてもさわやかな気持ちになってきます。
9時前ごろ、いよいよ河辺駅に到着しました。
どっとホームに降ります。ホームの階段、改札、地上に降りる通路と大混雑です。
ちびちびと進みながらも、気持ちが高揚してきます。

1河辺駅
<河辺駅>

駅を出て道路に出ると、ゼッケンと参加賞のTシャツを受け取る河辺小学校に向かう人の列になります。
10分ほど歩くと小学校に到着です。広い校庭にテントがたくさんあり、番号別に別れたテントに行って、ゼッケンを受け取ります。並ぶことなくスムーズに受け取りました。

2小学校
<河辺小学校>

次はゴール地点であり、着替えをしたり荷物を置いておく「青梅市総合体育館」に向かいます。
スタートやゴールの場所に近づくにつれて、食べものやランニンググッズなどの出店がどんどん出てきます。
食べののの店は、応援に来た家族や友人たちが利用するのでしょうね。
また、体育館の横には、スポンサーのお店が集まった仮設商店街のようなところもあり、見て回るだけで結構楽しいです。
うまそうな肉とかもあったのですが、走る前に食べると取り返しがつかないことになるかもと思いがまんです。

4出店コーナー
<出店コーナー>

総合体育館に到着しました。
体育館の中は、通路も体育館も人がいっぱいで、それぞれシートを拡げています。
どこに落ち着いたらいいか分らず、とりあえず通り抜けて周辺を歩きました。
体育館の外にもシートやテントがたくさんあり、着替えたり、荷物を置いたりしています。
体育館裏の道路はアップ場所になりジョギングやストレッチをしていました。また、駐車場には何10台もの仮設トイレがありました。

5ゴール脇総合体育館
<青梅市総合体育館>

6総合体育館横の道後ろにトイレ
<体育館の裏のアップ場所とたくさんの仮設トイレ(写真右)>

ひとしきり周辺を見たころに、私が参加するきっかけを作ってくれた藤野さんからの携帯電話がなり、体育館に到着したとのことでした。

そこで、これまでメールでのやりとりだけだった藤野さんと初めてお目にかかりました。
走りだして数年とのことですが、ランナーとしての風格、はきはきした感じが現役のスポーツ選手という感じがしました。
荷物の置き場所を教えてもらい、カステラをもらったり、話をしたりしつつ、記念写真を撮ったりしました。

7藤野さんと私
<写真ブースで記念写真>

お互いの健闘を祈り、藤野さんは走友会の仲間のところに行き、私も外にストレッチをしに行きました。

■マラソンがスタート

しばらくストレッチをしたところで、11時30分のスタートが近付いてきたので、スタート位置に向かいました。
私のゼッケンナンバーは「10635」なのですが、これはスタート位置が男子の中で10635番目ということなのです。この時にそういうことかと気づきました。
この番号は、自己申告タイムなどで主催者が決めるものです。
前のほうから、並び順の番号を書いたプラカードを見ながら後ろに向かって進んでいきます。
スタート地点からから800メートルぐらいで、見たところ全体の後ろから1〜2割という感じです。

8スタート地点に並ぶ
<私のスタート位置>

スタートまで約30分。自分の場所に立って、周りの人を観察しながら待っています。
年配の方、速そうな方、太めの方などいろいろです。走る格好をしたランナーが続々とスタート位置についていきます。

ここでちょっと問題が。実は少し前からトイレに行きたくなっていたのです。2月にしては暖かいとはいえ、走る格好でじっと待っていると、冷えがちなこともあって収まりません。しかし、体育館のトイレまで戻るには時間が無さそう。ということで、スタート時間のころには頭はトイレ一色になりつつありました。

スタート時間になりました。スターターのゲストに、レスリングの吉田沙保里さんの紹介がありました。
それからスタートの号砲が鳴ったと思うのですが、私のところでは聞こえませんでした。
スピーカーからは吉田さんが、みんなにかける「がんばってください」という声が聞こえてきます。
少しして、前の人が進みだし、まずは歩くスピードでゆっくりスタートです。
広い道幅いっぱいに人がいるため、追い越すことはできないので、周りに合わせて歩いたり、軽く走ったりです。

そして、スタート地点が近づいてきたなと思ったとき、ふと左を見ると、仮設トイレが8台ぐらいあるのです。
「おー、神様、こんなに近くにトイレがあるとは」若干ぶつかりながら左に進み、歩道にあがってトイレに行きます。
しかも、3人ぐらいしか並んでいません。

9スタート地点前のトイレ
<トイレ>

これで楽しんで走れます。テンションも上がってきました。

■30キロのスタート地点を通過

少しして、人が詰まって来たなと思ったら30キロのスタート地点です。
スターターの台の上には、吉田沙保里さんが手を振っており、みんな手を振ったり、写真を撮ったりしています。

10スタート地点
<スタート地点の看板>

11スターターの吉田沙保理さん
<ゲストの吉田沙保里さん>

号砲からここまで約12分、いよいよ30キロのスタートです。
(タイムは、ここから5キロごとに各自のゼッケンについているセンサーで自動計測されます)
しばらくは人がばらけず、歩くのに近いペースで走っていきます。
このスローペースがいい準備運動になる、と雑誌に書いていたのですがその通りです。

沿道には、多くの方が声援をおくってくれます。また、「太鼓」のグループが4つぐらい、ほどよい距離をおいて応援をしてくれます。
ランナーを鼓舞する力強い音、そしてかっこいい衣装を身につけた叩き手が、気分を盛り上げます。
私も、今から楽器をするとしたら太鼓がいいなと思いました。

12たいこ
<太鼓の応援>

また、私設エイドというのですが、近所に住んでいる人や、企業が食べ物や給水、エアーサロンパスなどを用意してくれたりしています。
それがたくさんあるのが青梅マラソンの特徴らしいのです。

13給水
<給水の私設エイド>

無理して追いぬいたりして疲れないように、周りのペースに合わせながら進んでいきます。
10キロが近づいたあたりで、道路の左半分に誘導されていきます。
早くの先頭ランナーたちは折り返し点を過ぎて、20キロに近づいているのです。
誘導の白バイが来たと思ったら、先頭集団の数人が走ってきました。軽やかで力強く、走り抜けていきます。
ここからは道の半分を往路と復路が使います。

14トップの選手とすれ違う
<トップ選手とすれ違う>

さらにしばらく走ると「御嶽駅(みたけえき)」です。山岳信仰と宿坊で有名な御岳山(みたけさん)の最寄駅です。
青梅線で移動しながら家族を応援する方もいるのでしょう。駅から多くの方が応援してくださいます。

15御嶽駅
<御嶽駅>

そこから、しばらく行くと道の上に折り返し地点の看板が見えてきました。

16折り返し看板
<折り返し看板>

17折り返し点
<折り返し点>

そしてさらに少し行くと、全体の半分15キロ地点です。

18タイム計測
<15キロ地点>

これまでの練習でも、最高15キロしか走ったことはなく、しかもそのときはボロボロになったのに、今日は余力があり、膝の痛みなどもありません。
時間を見るとスタート地点から1時間半ちょっと。
目標は4時間以内の完走だったのですが、もしかして3時間が切れるのではと欲が出てきます。

このあたりから、楽しいランニングから、タイムに追われた必死の走りに変わっていきます。
ただ、そんな中でも癒されるのが、「美しい景色」と「私設エイドや沿道からの差し入れ」です。
沿道から、「がんばって」と言いながら、チョコレートや飴を配ってくれる笑顔の子供たちを始めとしたみなさんには元気づけられます。
エネルギー切れをしないためには早めに糖分補給と思い、「ありがとう」とチョコや飴をもらっては、ほおばり続けます。
レモン、ラムネ菓子、おまんじゅう、梅干し(青梅だけに名産品)と、何でももらって口に入れます。水分補給も何度もします。

19渓流
<美しい渓流>

オーバーペースにならないぎりぎりで走り続け、脚の筋肉は痛いし、さらに爪も痛く、「止まりたい、いや止まったら2度と走れない」「もう少し、もう少し」と走ります。
周りで一緒に走る人たちと、声援を送ってくれる人たちがいるから、止まらずに走れます。
一人だったらとっくにやめています。

20キロあたりからは1キロ1キロが長く、特に最後の5キロは気持ちで走った感じです。
(気持ちで走るなんてサッカー部にいた高校のとき以来でしょう。)
そして、ついにゴール。
号砲から3時間10分53秒、スタート地点から2時間59分1秒(ネットタイムといいます)でした。
天候、体調、ペース配分など、いい条件が揃ったうえで限界まで力を出した自分のベストタイムだと思います。

20ゴール地点
<ゴール地点>

21ゴール直後
<ゴール直後>

痛みに耐えながら、体育館に入っていくと、藤野さんはすでに荷物置き場のところに戻ってきて、走友会の方と談笑していました。
タイムは2時間40分ぐらいで、もう少しうまく走れたと反省しつつも、爽やかでした。

限界を超えて走った私の体は、脚全体からお尻にかけて筋肉痛というよりも、負傷しているような痛みです。
脚はうまく曲がらず、普通に歩くのもぎこちないです。座ったとたん太ももがつったりします。
爪も黒くはがれそうになっています。

走りきった満足感と、ずたずたになった体をかかえて駅に向かいます。
普通に歩いている人も多いですが、私と同じように動きがスローな人や、駅の階段を手すりに頼って降りる人なども結構います。

なんとか家にたどりついても、食欲はなく、ビールを飲みたいとも思いませんでした。
それでも軽く食べて、夜8時ぐらいにはテレビを見ながら寝てしまい、そのまま朝までぐっすりでした。

■最後に

かつては「走るのはレースでなくてもいいのでは」と思っていました。でも、40歳を超えて初めてレースを走り、レースは練習のモチベーションになるだけでなく、自分の本気の力を試し、喜びや悔しさを感じさせてくれるところなのだと思いました。
(今回は悔しさはありませんでしたが)

私はかつて、マラソンで42キロも走るのは、特別な人の過酷なスポーツだと思っていました。
でも、中高年から始めても記録を伸ばせる、生涯スポーツとして定着している理由も少し分った気がします。
「マラソンの走り方」というのがあり、その人なりの体力に合わせた走り方をすれば、特別な人でなくても十分できるのだなと思いました。

ただ、記録を伸ばすことにこだわりすぎたり、無理をすると苦しそうです。
私自身、楽しく走ることを第一に、そしてできたら早く走れるように、これからも練習したり、工夫したいなと思いました。

次は、今年の秋にフルマラソン完走を目標にします。
今回はできなかった体重ダウンも少しは達成して、のぞみたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございます。

ボランティアのバスツアーで陸前高田市へ

こんにちは。山下です。
先週末に、ボランティアのバスツアーで陸前高田市に行ってきました。

福島、宮城に行ったので、次は岩手に行きたいと思い、ボランティアツアーを調べたところ、ほとんどの行き先が陸前高田市でした。
新幹線のツアーは無く、バスばかりだったので、今回はバスにしました。
金曜日の夜行で行き、土曜日の午前と午後、そして日曜日の午前に活動をして、バスで帰ってくるツアーです。

バスに座りっぱなしの往復はきつそうだなと思いましたが、日程や宿泊場所がいいと思ったJTBの22,800円のバスツアーで行くことにしました。

1、夜行バスで陸前高田へ

12月9日(金)夜、仕事が終了したら急いで自宅に帰り、寒さに耐えられる支度を整えて出発。夜22時30分に東京駅八重洲口近くの駐車場に集合しました。

1バス乗り場
<バス乗り場>

ぞろぞろと参加者が集まって来たころ、数台のバスがやってきました。
同じバスの参加者は35名、男性が6割ぐらいで、年代は下は18歳(父親と一緒)から50代ぐらいまで幅広いです。あとは中島さんという添乗員の女性です。

バスの座席は決まっています。隣に座った30歳ぐらいの気さくな男の人と挨拶、JTBの添乗員からの説明は翌朝ということなので、まずは寝ます。東北自動車道のパーキングで2回のトイレ休憩があり、朝の6時頃に一関インターで高速を降り、しばらく行った「道の駅かわさき」というパーキングで30分ほど休憩。着替えたり、顔を洗ったり、朝食を食べたりします。

そして、さらに1時間ほど海岸に向けて走り、陸前高田のボランティアの拠点である、陸前高田ボランティアセンターに到着しました。
ボランティアセンターは津波の被害を受けたところから山間部に入ったところにあり、山の間のひらけたところにプレハブの建物でした。

2ボラセン全体
<ボランティアセンター全景(2日目朝に撮影)>

5ボラセンの看板と私
<看板と私(2日目朝に撮影)>

2、1日目の活動

ボランティアセンターには、バスが6台ぐらいと、自家用車が数10台来ています。この日に集まったのは400人強ということでした。
8時30分ごろから、朝のミーティングです。
ボランティアセンターの所長の挨拶、看護担当、作業担当の方から注意事項の説明がありました。そのときにいくつかのグループの方が適当に指名されて挨拶をしたのですが、岡山から16時間かけて車で来たという人たちもいました。

スタッフの方々はオープンで親しみやすく、アットホームな雰囲気です。

3ボラセン朝のミーティング
<朝のミーティング>

4-1道具や手を洗うところ
<活動後に道具や手を洗うところ、お湯が出て快適>

4-2自由にお取りください
<「自由にお取りください」にはカイロ、マスク、ビスケットが>

活動する場所が決まり、9時前には再びバスに乗って出発です。
行き先は40分ぐらい行った「広田地区」というところです。陸前高田の中心部は湾の奥にあるのですが、広田地区はその湾の左手に伸びる半島の先に近いところにある地域です。
陸前高田市の中心部は通らずに、山の中を通って半島に行きます。

しばらく山の中を走り、半島に入るところで「小友地区」を通ります。
右も左も見渡す限り泥の平野です。ところどころに水がたまり、舟が転がっていたり、がれきの大きな山もあります。地図で見てみると、そこは半島の根元の平野部分で、元々は田んぼが広がっているところでした。半島の根元といっても狭いわけではなく3kmぐらいの幅があります。その半島の根元の両側から津波が押し寄せて、それが陸の上でぶつかり暴れたとのことです。

9半島の根元
<もともと田んぼだったところが一面の泥と池に>

さらに進み、半島の先のほうにある「広田地区」に入りました。
中学校は少し高台にあるにも関わらず、窓が無かったり、自転車置き場などの構造物がひしゃげています。

そして見えてきたのは、高さが5,6メートルはある防波堤です。あちこちが壊れ、真ん中部分は100mぐらいに渡って、すでに崩壊して無くなっていました。(石を積んだ仮の防波堤があり、それで元々防波堤があったところだと分かるのです)その崩壊したところから、陸地のほうは入江のように水があり、さらにそこから数100m奥にある山の斜面まで、何もかもが津波に流されていました。そこを横切る2車線の道路も寸断されて無くなっています。

6破壊された堤防2
<破壊された防波堤1>

7破壊された堤防
<破壊された防波堤2(防波堤の上から)>

8堤防の内側
<防波堤の内側>

1日目の活動は、その防波堤の前にある畑の掃除です。重機で大きながれきは無く更地のようになっている上に海の砂のようなものが被さっています。その砂地の中に入っている小さなガレキや石を取り除くのです。
20m四方ぐらいのところに全員が入って、端からシャベルで砂をすくっては中にある小さなガレキやガラス、石などを取り除いていきます。

午前と午後に2時間ずつぐらいの作業をやります。
最初は、お互いの面識もなく、うまく連携がとれないのですが、コミュニケーションをとりながら進めるうちに、少しずつ段取りがよくなったり、メンバーそれぞれの持ち味を活かした作業ができてきます。
1日かけて全体の半分弱をきれいにしました。

現場が防波堤の端から近かったので、昼休みに防波堤にあがって昼ごはんを食べたのですが、防波堤は厚みも3mぐらいある頑丈なものでした。それが水の力でこんなになるというのが、想像を絶します。

そこから海を眺めると、遠くに緑の山や島々が、そして海の上を飛んだり波間で休んでいるカモメたちがいます。豊かな自然が美しい、ゆったりとしたいいところです。

3、陸前高田市の中心部を通る

14時半ぐらいに作業を終了して、ボランティアセンターに戻ります。
行きとは違う道で、陸前高田市の中心部を通りました。

市街地だったところに入ったときに、まず、その被害の面積の広さに驚きました。
事前に地図を見て被害の大きさを見たり、海沿いの7万本といわれた松林が壊滅して、1本だけ奇跡的に残って「希望の1本松」と言われていたのは知っていたのですが、とにかくその被害の範囲の広さにはショックを受けました。
さらにショックだったのは、海から100m以上離れているところであちこちが池のようになって水が溜まっているのです。この岩手と宮城の県境に近いあたりは、地盤沈下が特に大きかったようです。
ここを復興するには、地盤作りからかと思いました。

10中心部2
11中心部3
<地盤沈下で池のようになっている>

さらに、高田高校、体育館、市役所、ショッピングセンターのマイヤなどの大きな建物が、津波の大きな傷を残していました。これらの建物は海から1km近いところにあります。
さらに、ここから川を中心に上流数kmまで、平野部は全て流されています。

12高田高校
<高田高校(右の体育館側が海側)>

13体育館
<市立体育館>

13中心部
<遠くからも海が見えます>

4、ボランティアセンターに戻る

バスはボランティアセンターに戻りました。シャベルなどの道具を洗います。お湯が出る蛇口とシャワーがたくさんあり、とても使いやすいです。
そのあと、手洗いとうがいをします。センターの方がうがい薬を配ってくれました。

さらに、建物に入ると、ボランティアセンターのスタッフの方(この方々も地元や遠方から来たボランティアの方)が希望する温かい飲み物を作ってくれて、お菓子も勧めてくださいます。
夕方近くになると大分寒くなってきている中で、とてもありがたいです。
ココアのあたたかさが沁みました。

壁や天井には、これまでに来た多くのボランティアたちから寄せられたメッセージや、千羽鶴などがたくさん飾られています。

4ボラセン内部
<ボランティアセンター内部(写真を撮っていい場所)>

さらに、「希望の一本松のステッカー(200円と300円)」や、がれきを使ったキーホルダー「ガレキーホルダー(600円)」の販売もしていました。(これらは寄付やキーホルダーを作る人の仕事にもつながっています)

ステッカー
<ステッカーとキーホルダー>

5、1日目の夜

ボランティアセンターを出て、1時間30分ほどの道のりを一関市に戻り、宿泊場所である「ホテルルートイン一関インター」に入りました。
しばらくゆっくりして、オプションの夕食希望者16人は、バスにのって「世嬉の一(せきのいち)」という日本酒の蔵元の施設に行きました。江戸時代から続く酒蔵で、明治や大正時代にできた蔵を、レストランやショップにしています。

食事はおいしく、さすがにお酒もおいしく、蔵元の社長さんもおもしろい話で盛り上げてくださり、参加者と添乗員を交えていろんな話をしました。さらに、ショップで試飲をしたり、買い物をしたりして、楽しむことができました。
お酒を飲む方には、とてもお薦めの場所です。

15嬉世の一
「世嬉の一」HP

ホテルに戻ると、月夜がきれいです。
21時45分から月食が始まるということだったので、その時間にホテルの外に出て、わずかに月が欠け始める姿を見たいのですが、あまりの寒さにすぐに部屋に戻りました。
酔いと疲れで、すぐに寝てしまいました。

16月食の始まり
<月食の始まり(左下がわずかに欠けているような)>

6、2日目

朝5時すぎに起床、6時からホテルの朝食を食べて、6時半に出発です。
外には雪が積り、曇り空です。

17朝には雪が
<朝に積っていた雪>

今日のボランティアは無くなるかもと思いつつ、バスに乗って、再び陸前高田市へ。
バスに乗って寝ていたのですが、1時間ほどして起きたら晴れ渡っていました。
内陸部と沿岸部でこんなに違うのかと、東北地方について学びました。

参加人数は、土曜日の1/3ぐらいでしょうか。その中には高田高校の生徒たちもバスで来ていました。後で調べると、学校が壊れて、大船渡市の廃校に仮に入ってようなのですが、週末にはボランティアに来ているのです。明るく力強くたくましいです。

ミーティングと体操をして、2日目の活動場所の「米崎町」に向かいました。
ここは1日目より近い場所で、海沿いに小さな平地があり、そこから山に向かって田がひろがっているところです。ここも防波堤は壊れ、家や鉄道なども流されていました。
午前中の2時間ぐらいですが、みんなで田んぼの中で土を掘り起こしては、がれきや石を取り除きました。田んぼの持ち主で、ボランティアを依頼したおばあさんも来てくださって、みんなと話をしたりしながら、一緒に作業をしました。
家は流されて、身一つになってしまったそうです。慰めの言葉はなく「お元気でね」というのが精一杯です。作業後は、何度も「ありがとう。ありがとう。」と言って、我々を見送ってくださいました。

14線路跡
<集落を津波が通った「ドラゴンレール大船渡線」の鉄道跡>

その後、ボランティアセンターに戻り、また温かいココアをいただき、さらに厚かましくもコーヒーまでいただいて、ボランティアセンターを後にしました。スタッフの方々が手を振って見送ってくださいました。

陸前高田市の幹線道路の沿道には、プレハブでできた仮設の店舗が、ところどころにできており、20店舗ぐらい見たように思います。

18仮設
<仮設店舗>

また、竹駒地区には、支援の人へのお礼と復興への決意を書いた看板がありました。
絶望と悲しみから、反転して少しずつでも前に進んでいく力を感じました。

20支援の人に向けた看板
<復興へのメッセージ(とっさに撮ったので左右が切れましたが)>

その後、一関市内で入浴と食事をして、15時ごろに一関を出発、帰りは昼間ということもあり、あまり寝られず、音楽などを聞きながら車窓を眺めていました。21時すぎに東京駅に到着。丸ノ内の冬のイルミネーションが輝いていました。

7、最後に

市の中心部から離れた場所にも行って分かったのですが、テレビで見たり、名前を聞く市街地や観光地だけでなく、海岸沿いのあらゆるところが、防波堤、橋、道、線路、建物が壊れ、田んぼや畑や森林などが海水を被る被害を受けているということでした。
あたりまえのようなことですが、メディアを通して知るところだけが被災地のように思っていた、間違いに気づきました。


そして、何から手をつけていいんだと立ちすくむような大きな被災状況です。
それでも多くの地域で、家、建造物、家財道具、車、木などのがれきはすでに大きくまとめられています。
町中を埋め尽くしていたがれきをここまでまとめた、全国から来た自衛隊、消防、警察、自治体、そして重機を使う会社やボランティアの方など、すごいことだと思いました。

「がれきの山の片付け」「普通の生活」「仕事場づくり」どれも難しい問題が山積だと思います。
被災した方々の力だけではまだまだ厳しい状況です。
これからも、日本全国で、多くの個人や組織ができることをやり続ければ、必ずや復興が進むはずです。

今回は一段と長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

「からだにいいこと」からストレス解消と癒しのCDをダブルリリース

こんにちは。山下です。
今回は、11月16日に発売した『からだにいいこと』1月号のご案内と、『からだにいいおと』のご案内です。
忙しい年末に合うCDのご紹介です。

■『からだにいいこと』1月号の綴込付録に、音楽CD「ストレスがス〜ッととけるCD」がついています。

CD
<付録の封筒の中にはこのようなCDが入っています>

このCDは、「心と身体にやさしいCD」レーベルのデラとのコラボで実現したものです。

この付録では、これまでにデラがだしてきた多くのCDから、「ストレスを解消することをテーマ」に『からだにいいこと』読者に合ったCDを6枚を選び、そこからさらに曲の展開も配慮して、1曲ずつをセレクトして1つのアルバムにしました。

ゆったりとしたせせらぎと小鳥のさえずりから始まり、気持ちを「しずめる・やわらげる・ほぐす・やすめる・上げる・ととのえる」と展開する6曲で46分のCDになります。

私で言うのもなんですが、雑誌の内容のボリュームはいつもと変わらずに、46分のCDがついて30円UPで630円はお得だと思います。


■また、同じくコラボ企画で、『からだにいいおと』というCDも発売しました。

からだにいいおと
<からだにいいおと>

こちらは、「ココロとカラダを癒す」をテーマにベスト版のアルバムを作ろうということで、上記の付録とは別の14枚のアルバムから14曲を選んで編集したアルバムです。
ピアノあり、ボサノバあり、ウクレレや二胡(中国の楽器)ありで、変化に富みながらも、気持ちよく曲が続く73分のアルバムです。
CDショップや、一部の書店やホームセンターなどでも販売しています。WEBで買うこともできます。

先日『からだにいいこと』の「健康川柳」のイベントがあり、そのBGMに使ってみたのですが、会場全体がゆったりリラックスした感じになり、とても合っていました。しっかり聴かなくても、何かをするときに背景に流しているだけでも邪魔にならずに、からだにいい空間ができるなと思いました。


■私個人としても、実は今回の付録や『からだにいいおと』の企画を進めるまでは、癒される曲はあまり聴いたことが無かったのですが、聴いてみると緊張した脳がほぐれるのを感じました。

ゆっくりするときに聴くもいいのですが、仕事中に流すのも、緊張しすぎがほどよく中和して仕事が進むように思います。
1月号で、心療内科医の牧野先生のストレスを和らげるのに音楽が効果がある、という記事も掲載していますが、音楽の力を知ることができました。

ぜひ、「聴くだけでヒーリング!」を実感してみてくださいね。

<参考>
文字をクリックすると、それぞれのサイトにリンクしています。

『からだにいいおと』(amazon)

株式会社デラ


■月刊『からだにいいこと』と『からだにいいおと』を一緒に見ることができる書店をご案内します。
お近くの方は、ぜひお立ち寄りくださいね。

●啓文堂書店 神田駅前店

啓文堂書店神田駅前店
1階のレジ横に特設コーナーが。「からだにいいおと」を聞くこともできます。


●ブックファースト ルミネ北千住店

ブックファーストルミネ北千住店
健康雑誌コーナーにCDもあります。


●新星堂 北千住店

新星堂 北千住店
デーブルの上には「からだにいいこと」、デラのCDラック(一番左上)には「からだにいいおと」が。


今年もあと1ヵ月少々。いい年末にしましょう。
読んでいただき、ありがとうございました。

ボランティアツアーで南三陸町に行きました

こんにちは。山下です。
先週末の土日に、ボランティアツアーで南三陸町に行ってきましたので、そのときのことを書きます。

1、ボランティアツアーに申し込む

10月の中頃、「東北の自転車紀行はいったん終わったし、次はボランティアに行こうかな。でもまだやっているのかな?」と思いつつWEBを見ていたら、ボランティアツアー(以下ツアー)がいろいろ見つかりました。

宮城県より遠くは、自分の車で行くのはきつそうだし、被害の大きな沿岸部は新幹線の駅から遠い場合が多く、公共機関で行くのも厳しいということで、ツアーで行くことにしました。

土日にボランティア活動ができて、観光が無いツアーを探しました。
ほとんどのツアーが往復ともにバスで、行きは金曜日発の夜行で、帰りは日曜日の朝・夜、月曜日朝などですが、その中に往復新幹線のツアーがありました。
JTBの南三陸町に行くツアーです。34,800円とバスと比べると高額なのですが、宿泊や夕朝食は南三陸町内の大きなホテルだし、往復が新幹線だと、疲れも軽減されるだろうと、WEBで申し込みをしました。

行くにあたり、
「被害の状況を見たい。復興の兆しがどれぐらいなのか見たい」
「住んでいる方、復興にたずさわる人、ボランティアの人、観光に行く人など、人を見たい」
「作業的にも消費的にも少しでも役に立とう」
と思いつつ、出発に向けて準備をしました。

<参考>ボランティアツアーのリンクサイト
http://tasukeaijapan.jp/?page_id=3813

2、ツアー1日目が始まる

11月5日(土)朝8時に東京駅に集合です。そこで、東北新幹線の「くりこま高原駅」(仙台より2つ先の駅)行きの指定席のチケットを受け取ります。
行きの新幹線は参加者の席はばらばらで、各自で新幹線に乗ったので、一人で気楽にスタートです。

ほとんどの席が埋まっています。私の周りは、合唱団の20人以上のグループで、宮城の酒蔵を訪ねるツアーの方々のようでした。50代〜60代ぐらいとおぼしき方々中心に盛り上がって楽しそうです。合唱団だけに、酔っぱらったら歌うのでしょうか。

東京から約2時間半、11時すぎにくりこま高原駅に到着しました。
改札前に参加者が集まりました。全部で35名、ガイドの方1名の総勢36名です。

1くりこま高原駅
<くりこま高原駅>

駅前には南三陸町に向かうバスが待っており、みんな順々にバスのトランクに荷物を積み込み、バスに乗りこみました。
今回のメンバーは、みんな時間前に集まり、動きが早かったのは、ツアーが最後までスムーズにいった要因だと思います。

ツアー参加者は男女比はほとんど半々で、40歳ぐらいを中心に20代から50代の人までいるように思いました。ボランティアが初めての人が半分ぐらいでしょうか。
バスの中では、まずはツアーの連絡事項や、注意事項などの説明があり、あとは窓の外を眺めたり、昼食を食べたり、眠ったりしながら進みました。

3、南三陸町に入る

さて、バスに乗って1時間半、太平洋岸に向かって走っていきます。途中、北上川を渡り、登米市(とめし)を通り、八幡川に沿った道を進みます。

山と山の間を抜けて、平野が広がってきたときでした。
片側にはつぶれて積み重ねられた何100台もの車が、反対側は家の土台のコンクリートが、そして川の脇にはひっくり返った舟が。

2被災地
3被災地
<国道を山から町へ(写真が青いのはバスの窓の影響です)>

そこからは海に向かって進むほどに、平野が広がり、荒野のようになった町がありました。遠くからも海が見えます。その中で、大きな病院やショッピングセンターなどの4階ぐらいのビルはどれも窓にガラスは無く、コンクリート部分だけが残り、ビル全体が津波を被ったことが分かります。海から1キロは離れたと思われるビルも3階以上の窓にガラスはなく、中は空洞になっているか家具やガレキが重なっていました。

4被災地
5被災地
<町の中心部>

6-被災地
<町の中心部から山側(左奥の赤の鉄骨が残っているのは防災対策本部だった建物)>

6被災地
<海から500m以上離れたビルの上に車が>

また、ガレキの大きな山や、車の山、タイヤの山、ボランティアが掃除してガレキなどを入れた袋などがところどころにあります。

鉄道の線路はなく、高架橋もほぼなくなっており、トンネルと土盛りで、よくよく見ると元々は線路だったことが分かります。

主要駅の志津川駅は長いホームが2本あり、それには屋根もついており、待合室や売店がある小さくない駅舎があり、駅裏には線路の信号施設や引き込み線もあるのですが、もはや駅があったことすら分からない状態です。

7トンネルと線路跡
<トンネルと線路跡>

8一部残った鉄道高架
<わずかに残る高架跡>

8志津川駅
<志津川駅(気仙沼線)>

そして、海に近づくと地盤沈下のせいで、川の水面が高く、大潮になったら海水が地上にあふれるのだろうと思いました。

9川
<中心部を流れる八幡川>

少しでも生活感があるのは、ワンボックス車のラーメン屋台、物置のような仮設小屋を事務所にして営業しているガソリンスタンドが数件、そして仮設の小さな商店やコンビニが数件です。

10セブンイレブン
<仮設のセブンイレブン>

バスは町の中心部を通り抜けて、別の山のほうに再び登っていきます。しばらくは津波の被害跡が生々しく残り、山の谷間にある川や道の上をかなりの高さまで津波が来たことが分かります。

さらに登って、津波が届かなかった場所にいくと、家があったり、仮設の店がまとまってあったりしました。
さらに進むと、小高い山の上のほうに総合スポーツ施設があり、そこが災害対策本部の拠点になっており、町役場や消防署、病院などが仮設庁舎を作って移転してきていました。また、災害ボランティアセンターという、ボランティアの情報や多くの備品の管理をしている、災害ボランティアセンターもありました。

11南三陸町ボランティアセンター
<南三陸町ボランティアセンター>

12ボランティア向けキャンプサイト
<ボランティア向けキャンプサイト>

13仮設町役場
<仮設町役場と私(2日目撮影)>

4、ボランティア活動(1日目)

今日は午後からボランティア活動ですので、ガイドの三浦さんがボランティアセンターにまとめて活動申請をして、トイレ休憩をして、活動に必要なものを身につけて、早速バスに乗ってボランティアの活動場所に向かいます。

1日目は、志津川駅近くの片づけです。
最初に現地のボランティアリーダーのキムさん(名札がカタカナ標記なのです)より説明がありました。ガレキや廃棄物の分別、持ち主に返せるような写真やお金を見つけたらリーダーに渡すこと、そして作業場所での写真撮影禁止、無理をしないことといった話がありました。

キムさんはてっきり南三陸町の方だと思っていましたが、聞くと、震災後に神奈川県の川崎市から来て、ずっと南三陸町のボランティアに携わっているとのことでした。そんな人もいるのかと驚きました。
20歳ぐらいのようですが、わかりやすく説明し、目配り、気配りもできる、優れたリーダーでした。

活動場所は、大きなガレキはすでに無くなっているところを、シャベルと手で、ガレキ、金属類、燃えるものを分けて山をつくっていきます。すでに更地のようになっているところや、住宅の土台だけが残っているところがあります。
この日は南三陸町全体で300人ぐらいのボランティアが入ってるそうで、そこにもすでに100人ぐらいの人が活動をしていました。
そこに交じって、まだしていない場所などを片付けていきます。

更地のようなところは、かなりきれいになっていますが、特に住宅の土台があるようなところは、重機ではきれいにしきれないせいか多くの廃棄物があります。
2度ほど休憩をとりながら、35人のメンバーが同じエリアに散らばって2時間半ぐらい作業をして、燃えるものを入れた大きな袋や、ガレキの山がいくつかできました。
初日なので、メンバーの連携はなかなか難しいのですが、安全でやりやすい作業でもあったので、活動は進み、2日目に向けてのいい準備にもなりました。

この場所が、今後何になるのかは決まっていないようですが、まずは町をきれいして、町の方々に少しでも喜んでいただくけたらいいなと思いながら作業をしました。
そして、何を造るにしても、丁寧に人の手で思い出の品や廃棄物を拾い上げたあとに、改めて町を構築していくことに意味があるといいなと思いました。

5、ボランティア活動の後

作業終了後は、バスでボランティアセンターに戻り、そこでボランティアセンターを運営する南三陸町社会福祉協議会の会長さんのお話を30分ぐらい聞きました。
お話は地震と津波が来たときの話、その後の話、今後の復興に向けて人の気持ちの難しさなどいろいろいただきました。会長の奥様も震災で亡くなられたとのことでした。
「来年3月まではボランティアセンターは継続する。まだまだすることはあるので、個人でも団体ででもボランティアには来て欲しい」ということでした。

16時半ぐらいになり、宿泊先の「南三陸ホテル観洋」に向かいました。

14ホテル観洋
<南三陸ホテル観洋>

三陸随一のリゾートホテルで、250部屋もある巨大ホテルです。高台にあるために、下の階は津波の被害があったようですが、震災後しばらくは停電や水なども通らない中、多くの避難者や救援や復興に携わる人を受け入れ、南三陸町の災害対策のひとつの拠点となったホテルです。

5人ぐらいずつでひとつの部屋に入り、まずは風呂に入って汗を流します。

食事の前に、被災された方の話を1時間ぐらい聞きました。
民話を話す会の方にお話いただきました。とても分かり易くお話をいただきました。震災当日の話、大切な人を亡くした話、その後精神的に参ってしまった話など、当日から何ヶ月もの間、緊張と不安が続き、ようやく少し落ち着いてきて人前で話ができるようになったとのことでした。
「とにかく自分の命は自分で守らなきゃいかん」というのが印象的でした。
状況を本当に理解することはできないのですが、被災された方ひとりひとりにとって、多くの思いや不安があることが、少しわかりました。

この日のホテルは満室で、観光客や知り合いを訪ねて来た人、いろんな集まりや、ボランティアの人がたくさんいて、ホテル内は明るいざわめきに満ちていました。

従業員の方々はとても感じよく、売店は充実、風呂は広くて海が目の前に見える露天風呂も気持ちよく、夜の闇の中で、海に浮かんだウミネコの体がホテルの明かりに白く光って、波間にゆらゆらしていました。

また、食事はボランティア向けは定食のようなものかなと思っていたら、観光ホテルらしく海の幸がいくつもの器にのったお膳が出てきました。ビールなどを飲みたい人は飲みつつ、おいしくいただきました。
食事の際に、ひとりひとりが簡単な自己紹介をして、来た動機やボランティア経験などを少しずつ話しました。これが、その後お互いに話をするのにとても役立ちました。食後は自由なので、何度か風呂に入ったりして10時すぎに寝ました。

6、2日目

朝は6時ごろに目覚めました。身体の調子も良さそうです。
天気は曇りで小雨がぱらついていましたが、作業はできそうです。
窓からは三陸の海が一望でき、ウミネコ(カモメの一種)たちがたくさん飛んだり、ベランダにとまったりしていました。つかまえられそうなぐらい近くにとまって、横目でこちらをうかがっています。残念ながらエサはありませんでした。

15美しい海と島
<三陸の美しい海と島>

16打ち寄せる波
<ホテル下の岩場>

17ベランダのウミネコたち
<ベランダのウミネコたち>

朝8時15分にホテル前に集合して、ボランティアセンターに向かいます。少し雨が降っているので、一応雨具を着こみました。(雨はひどくならなかったので、作業の途中で暑くなって脱いだのですが)
ボランティアセンターで支度をして作業場所に向かいました。

2日目は1日目と違う場所で、南三陸町の復興の象徴として、商店が20店ぐらい集まって仮設の商店街を作ろうとしている広場の、側溝掃除でした。
海から1キロ以上離れた山の手前ですが、広場の前にある町の合同庁舎や消防署は3階まで完全に津波が通り抜けており、「火」「の」「用」「心」と書いた4つの大きな石だけがそのままに残り、消防署だったことが分かります。

そこはすでに更地になっています。
着いた時にはどこに側溝があるのだろうと思ったのですが、側溝は土やガレキで埋まっていて、ぱっと見ただけでは分からなくなっていることが分かりました。

我々35人と、午前中は鎌倉からバスで来た人たちと一緒に活動開始です。
我々の分担場所は細い溝と太くて深い溝を合わせた100メートルぐらいで、溝には大小のガレキや土などが入っています。
メンバーが数人ずつかたまりになって、溝を掘っていきます。シャベルで掘っては、燃えるもの、ガレキ、金属、土と分別して、それぞれの置き場に一輪車などで移動していきます。

2日目なので、道具の使い方や、自分ができることなどが分かっていたり、お互いのコミュニケーションもなめらかになり、さらにこの場所が復興の象徴になるということで、みんなのやる気も高まります。
昼休みをはさんで9時ごろから15時ごろまで、広場の側溝をキレイにして、道沿いの排水溝まで水が通るようにして、さらに広場周辺の草を抜いたり、広場内のアスファルトの上に乗った土や石を除いていきました。
みんなが周りを見ながら連携しながら、それぞれが得意なことやできることに力を発揮し、一丸となって作業を進めることができました。
これからどんな商店街ができるのか楽しみです。

終了後は、片付けをして、ボランティアセンターを経由して、再びホテル観洋行き、お風呂に入り、帰りの荷物をまとめて(長靴がかさばるのです)、ついでにお土産を買ったりして、17時ごろにバスに乗りました。

ホテルの方が「ありがとうございました。南三陸町にまたお越しください。」(文字は少し違うかもしれませんが)と手書きで大きく書いた白い布を持って、手を振って我々のバスを見送ってくれました。

再度、町の中心部を通りましたが、すでに車窓は薄暗くなりつつありました。
作業をした広場の横を通りましたが、隣の消防署があったところでは、コンクリートだけが残った建物の、消防車が入っていたと思われる1階にある献花台で、ご家族と思われる方々が手を合わせていらっしゃいました。

バスは南三陸町を後にして、新幹線のくりこま高原駅に向かいました。
19時前の新幹線に乗って、参加者は郡山、上野、大宮と少しずつ手を振って別れ、21時30分ごろに東京駅に到着。みんなで「おつかれさまでした」と挨拶して、それぞれの家路につきました。

■所感など

・ボランティアに行って思ったのですが、復興に必要な作業で、人の手でないとできないことをするとともに、そこにいること自体に価値があるのではないかなと思いました。

いろんな貢献の仕方のひとつではあり、被災地を気にするだけでも価値があると思いますし、さらに、知りたい、行きたいと思い、「そこにいること自体」も、被災されている方々の力に少しでもなれるのではないかなと思いました。

道路も整備されてきているので、ボランティアでなくとも、行って見るだけでも価値があると思います。
(整備の進みぐあいは場所によりますし、観光地ではないので、見るマナーは大切ですが)

・町全体を見て、ガレキはまとまってきているのですが、ガレキを別の場所に持っていき、町を構築するのはこれからです。現在、壊滅的な場所にあるのは仮設の建物ばかりです。
みんなが住みたいと思う町づくり計画ができて、仕事をして暮らす場が早くできればいいなと思いました。

・ホテルのおみやげ売り場では、安くておいしそうなワカメや魚などの加工食品がいろいろありました。(ホテルが、大手の水産加工販売会社である阿部長商店の系列だからというのもあると思いますが)

三陸海岸には日本を代表する漁港が並んでいますので、住んでいる人たちは、漁業やその関連した仕事で生計を立て、おいしい魚を食べて、生活が海とともにあるのだなと思いました。

だから、本当の海の恵みを恐さを知っている人たちで、私のように日々の生活に海がない人とは、海に対する見方や、生活の価値観も違うのだろうなと思いました。町づくりにおいても、住んでいる方々の生活や価値観に合わせることが大切だろうなと思いました。


今回、行って、知って、汗を流し、温泉に入り、おいしいものを食べて買って、大満足なツアーでした。
それも、ボランティアセンターの方、ホテルの方、ツアーガイドの三浦さん、そして一緒に参加したみなさまのおかげです。ありがとうございました。

いつか、ウミネコにはパンをあげて、南三陸町で陸揚げしたうまい魚をたらふく食べたいと思います。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

(東北を消費!4)宮城県の白石から松島まで

こんにちは。山下です。
4ヶ月近く経ってしまったのですが、前回の続きで宮城県の白石から、日本三景の松島に、自転車で行ってきました。

今回も日帰りなので、早朝に出発です。4時すぎに起きて、東京駅まで自転車で行き、そこで自転車を袋に入れて、6時20分発の東北新幹線に乗りました。
電車内は今日もがら空きです。まずは、朝食に駅弁を食べ、缶コーヒーを飲みつつ、窓から景色を眺めたり、いねむりをしたりしながら、各駅に停まりながらのんびりと北に向かいます。

福島県あたりから、車窓から国道4号(北へ向かう幹線道路)が見えると、あそこは自転車で走ったとか、これまでに走った記憶がよみがえったりします。ただ、もやがかかっていて、那須岳や安達太良山などの遠くの山々が見れなかったのは残念でしたが。

8時半ごろに、白石蔵王駅に到着。

1夫婦こけし
<白石蔵王駅の夫婦こけし>

5分ぐらいで自転車を組み立てて、スタートです。

今日は、いきなり国道4号に出ずに、並行して走る少し細い道を進みます。
山、田園、川がモザイクのように続きます。途中道が合っているか不安になったりもするが、東北本線の線路が見えてホッとしたりしながら、気持よく進みます。
10キロほど走ったら国道4号に出て、阿武隈川に出会います。阿武隈川には、これまでも郡山市、福島市でも渡りました。このあたりは河口にも近づいてきており、川幅が大きく雄大な流れになっています。

2阿武隈川
<阿武隈川>

しばらく進むと仙台市に。ここで大分お腹が減ってきたので、道脇にあったお店で「ずんだ餅(4個入り)」を購入。中学校のグラウンド横の道路脇で、野球の試合を見ながら食べます。さっぱりとした甘さのずんだ(枝豆をすりつぶしたもの)の餡と、コシがあるお餅で、噛みごたえがあってうまいです。
ペロっと4つを食べて再出発です。

3ずんだ餅
<ずんだ餅>

このあたりから国道4号から松島方面の道に曲がって、多賀城市、塩竈市(しおがまし)と海に向かって進みます。

すると、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)という看板が出てきました。観光ガイドに載っていたなと思いつつ、早く松島に行きたいしと少し迷ったのですが、走りだして3時間ぐらい経って疲れてきたこもあり、小休止がてら寄って行くことにしました。

神社はちょっとした丘の上にあります。脚がきつかったのですが、登って駐車場に自転車を止めて、神社の入口の大きな鳥居に向かって歩きます。神社の境内の周りは庭園のようになっていて木などが植わっています。その中の砂利道を気持ちよく、ゆるい坂道を少しずつ登っていきます。
登りきって神社の手前まできて、ふと振り返りました。なんと、木々の向こうに松島湾の海がきらきらと光り、湾内には緑の島々が。絶景です。迷ったけど来てよかったと思いました。

4鹽竈神社から見た松島湾
<鹽竈神社から見た松島湾>

鹽竈(しおがま)神社にお参りしました。この神社も私好みの感じです。どう好みか言葉では説明できないのですが、心地よい神社です。右宮と左宮の2つがくっつくように並んで本殿をつくっているのはおもしろいです。初めて見ました。
御守とかを売っているところを覗いてみると、いろいろな御守やステッカーとともに、塩がありました。塩竈らしいと思って、買いました。

5鹽竈神社
<鹽竈神社>

途中に寝ている石の牛がいました。見た目はのんびりした癒し系です。「なで牛」という名前で、商売繁盛と書いているので、お賽銭を入れてなでました。次に、同じ敷地で隣にある、志波彦神社(しはひこじんじゃ)にもお参りをしました。こちらも、右宮と左宮がありました。

6なで牛
<なで牛>

大満足して、一路松島に向けて再出発です。しばらく行くと道が海沿いになり、松島湾の島々が見えます。

7島々を見ながら走る
<島々を見ながら走る>

さらに行くと、観光地っぽく、店や公園、駐車場などが道の左右に出てきて、JRの「松島海岸駅」が左手にあらわれました。ついに、日本三景の松島です。

8松島海岸駅
<松島海岸駅>

まずは遊覧船に乗るべく時間を調べようと、駅の遊覧船案内所に行きました。何種類かある中で、松島から出て同じ場所に戻る船にしました。1400円でした。少し時間があるので、ゆっくりと遊覧船乗り場に行きます。
駅前から遊覧船乗り場まで、多くの観光客がいます。途中はイカや貝、トウモロコシなどを焼いて売っているお店がたくさん並んでいます。
走りだしてから、ずんだ餅しか食べていなかったので、船で食べようとイカを買いました。船着き場に行くと30分ほど時間があったので、近くの「五大堂」という海に突き出た岩場につくられた名所のお堂に行きます。

9五大堂と私
<五大堂と私>

震災の影響で、観光客はまばらなのではと勝手に思っていましたが、団体旅行、個人旅行ともに結構いて、観光地のにぎわいがあります。また、海近くのお店はやっていないかもと思っていたのですが、いくつかのお店は閉まっていましたが、8割ぐらいのお店はやっていて、どこもお客さんが入って賑わっていました。

10遊覧船乗り場と観光客
<遊覧船乗り場>

さあ、本日のメインイベント、遊覧船の乗船時間が近付いてきました。桟橋に泊まっている船の前にはすでに長い行列ができています。150人以上は待っているようです。乗船時間になり、順々に乗っていくのですが、すでに1階の席は窓の近くは空いていないようです。そこで、船内で600円で2階のグリーン席のチケットを売っていたので、2階に行くことにしました。これが快適。座席はひろびろとしていて、テーブルもあります。観光パンフなどをゆっくりひろげて、さっき買ったいか焼きもゆっくり食べることができました。

11遊覧船
<遊覧船の乗船に並ぶ人たち>

12遊覧船内部
<遊覧船のグリーン席>

さあ、50分の航海に出発です。
船内の放送で、左に右に見える島の名前の由来などを案内してくれます。
松島の島々は陸地から眺めてもきれいなのですが、船から眺めると新しい島が現れては過ぎ、波による揺れもあり、のんびりというよりも、アクティブに進んでいきます。

13松島の島々
<松島の島々>

しばらくすると、船尾にあるデッキに出ました。
さっきから窓の外にカモメが飛んでいるなと思っていたのですが、船の後ろにはカモメが数十羽もいるのです。客が投げるカモメのエサ(船内で売っているかっぱえびせん)を食べるべく、羽を広げて船の周りを舞ったり、船の手すりや屋根に止まって休んだりしています。みんな、エサを持っている人に注目して目の前を飛んだり、すぐ後ろの屋根から、客が投げる瞬間を狙ったりしています。目の前を飛び回るので、ずっと見てても飽きません。

14かもめ達1
15かもめ達2
<船の周りのカモメたち>

大満足で船から降りたら、次はこちらも松島の象徴である「瑞巌寺(ずいがんじ)」に行きます。平安時代に建立されて、伊達正宗の菩提寺でもあります。
すごいと思ったのは、総門から境内に入る参道の横の岩壁に、100メートルぐらいにわたり、多くの洞窟が掘られ、多くの仏像が壁面に彫られたり、石像が安置されています。壁面の風化しそうになっている素朴な仏像に、昔からの庶民の信仰を感じられるようでした。

16瑞巌寺1
<瑞巌寺の洞窟>

本堂は、平成30年までの10年に渡る大修理中で見ることができなかったのですが、特別に公開している国宝の庫裏や宝物殿などを見ました。

そのあとは、船着き場に停めている自転車を取りに戻ったのですが、お腹が減ってきたので、まずは瑞巌寺の門前の店で「ずんだ抹茶ソフトクリーム」を食べました。ずんだの甘さと抹茶の軽い苦みがマッチしておいしいです。

17瑞巌寺門前
<瑞巌寺門前>

18ずんだ抹茶ソフト
<ずんだ抹茶ソフト>

さらに歩いていくと、「牡蠣カレーパン」と書いた看板があります。松島といえば牡蠣ということで、これは松島らしいと買いました。見た目はふつうの大きめのカレーパンです。
実は、味については期待をしていませんでした。というか、イメージがわかなかったのです。
ところが、ひとくち食べてびっくり。「牡蠣入りカレー」が入ったパンだと思っていたのですが、そうではなく、カレーとともに、牡蠣の身が3つぐらい丸ごと入っているのです。牡蠣の味と食感がカレーに合い、とにかくうまいのです。牡蠣が好きな人にはオススメです。

19牡蠣カレーパン
<牡蠣カレーパン>

自転車置き場からは、駅に向かってゆっくり走りながら、さらにもう少し何か食べたいなと思っていると、右側に「牛たん」の店が現れました。牛たんは仙台で食べようと思っていましたが、確か昼過ぎにこの店の前を通った時は、店の外にも10人以上の人が待っていたぞ、きっとおいしいに違いないということで、入ることにしました。
「牛たん炭焼利休」というお店でした。初めて、仙台の牛たんを食べたのですが、さすが名物だけに「うまい」。肉のやわらかさと味が絶品で、定食についているテールスープも絶品。後で調べると仙台の有名店の支店だったようです。

20牛たん定食
<牛たん定食>

満腹になったところで、夕方の5時ごろになったので、近くの松島海岸駅に行き、自転車を袋に入れて、仙石線に乗り、仙台に向かいました。うたたねをしながら30分ぐらいで仙台につき、そこから新幹線に。ちょうど仙台から大宮までノンストップの「はやて」が来たので、1時間半ぐらいで東京につきました。

■さいごに
松島に行く前は、店はやってるのか、閑散としているのでは、電車は通っているのなどと思っていましたが、どれも大丈夫でした。

さすが日本を代表する一流の観光地だけに、歴史は深く、見どころ満載、食べものいろいろで、素晴らしいところでした。
震災後半年が経ちますが、地元の方々の不屈の努力で、このように観光を楽しめる状態に持っていったのでしょう。

これからさらに何年もかかるかもしれませんが、松島湾に牡蠣の養殖が復興したら、松島の牡蠣をたらふく食べたいと思いました。
そして、食い意地のはったカモメたちにもエサをあげたいと思います。

さて、私の自転車紀行は、これより北に行くには、新幹線の日帰りだとお金と時間が厳しいので、いったん完結にします。(いつか、何泊かして一気に岩手、青森まで行こうと思っていますが)

次は、自転車は載せられないのですが、夜行の高速バスを使うとかして、また違う形で東北には行きたいと思っています。

毎回、長文を読んでいただき、ありがとうございました。
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